世界初、鮭の増殖に成功
江戸時代、村上藩にとって鮭は大切な収入源でした。しかし江戸後期、秋鮭漁が年々不漁となりました。当時は鮭の生態も分かっておらず、途方にくれるしかありませんでした。そんな時に現れたのが、長年、鮭を観察し続けてきた青砥武平治(あおとぶへいじ)という侍でした。青砥は殿様に命がけで「鮭には回帰性があります。今まで獲れるだけ獲っていたから鮭が激減したのです。鮭を保護してやってください」と申し出ました。更に「三面川に、鮭が産卵しやすい人工の分流を作りましょう」と提言しました。この後、30年に及ぶ川の大工事が行なわれ、増殖事業は見事成功し、村上は鮭の恵みで豊かになりました。このことは世界初の鮭の増殖として歴史に名を残しています。今でも「村上を救ってくれた鮭は大切な天の恵みである。この鮭に切腹させてはならぬ」と、鮭のお腹は全て切らず、中ほどの一部を残すのが村上の昔からの風習となっています。